大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)281号 判決 1996年3月26日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人森健市の上告理由について

一  原審の確定した事実関係は次のとおりであり、この事実認定は原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。

1  上告人と甲野一郎とは昭和四二年五月一日に婚姻の届出をした夫婦であり、同四三年五月八日に長女が、同四六年四月四日に長男が出生した。

2  上告人と一郎との夫婦関係は、性格の相違や金銭に対する考え方の相違等が原因になって次第に悪くなっていったが、一郎が昭和五五年に身内の経営する婦人服製造会社に転職したところ、残業による深夜の帰宅が増え、上告人は不満を募らせるようになった。

3  一郎は、上告人の右の不満をも考慮して、独立して事業を始めることを考えたが、上告人が独立することに反対したため、昭和五七年一一月に株式会社○○(以下「○○」という)に転職して取締役に就任した。

4  一郎は、昭和五八年以降、自宅の土地建物を○○の債務の担保に提供してその資金繰りに協力するなどし、同五九年四月には、○○の経営を引き継ぐこととなり、その代表取締役に就任した。しかし、上告人は、一郎が代表取締役になると個人として債務を負う危険があることを理由にこれに強く反対し、自宅の土地建物の登記済証を隠すなどしたため、一郎と喧嘩になった。上告人は、一郎が右登記済証を探し出して抵当権を設定したことを知ると、これを非難して、まず財産分与をせよと要求するようになった。こうしたことから、一郎は上告人を避けるようになったが、上告人が一郎の帰宅時に包丁をちらつかせることもあり、夫婦関係は非常に悪化した。

5  一郎は、昭和六一年七月ころ、上告人と別居する目的で家庭裁判所に夫婦関係調整の調停を申し立てたが、上告人は、一郎には交際中の女性がいるものと考え、また離婚の意思もなかったため、調停期日に出頭せず、一郎は、右申立てを取り下げた。その後も、上告人が○○に関係する女性に電話をして一郎との間柄を問いただしたりしたため、一郎は、上告人を疎ましく感じていた。

6  一郎は、昭和六二年二月一一日に大腸癌の治療のため入院し、転院して同年三月四日に手術を受け、同月二八日に退院したが、この間の同月一二日に○○名義で本件マンションを購入した。そして、入院中に上告人と別居する意思を固めていた一郎は、同年五月六日、自宅を出て本件マンションに転居し、上告人と別居するに至った。

7  被上告人は、昭和六一年一二月ころからスナックでアルバイトをしていたが、同六二年四月ころに客として来店した一郎と知り合った。被上告人は、一郎から、妻とは離婚することになっていると聞き、また、一郎が上告人と別居して本件マンションで一人で生活するようになったため、一郎の言を信じて、次第に親しい交際をするようになり、同年夏ころまでに肉体関係を持つようになり、同年一〇月ころ本件マンションで同棲するに至った。そして、被上告人は平成元年二月三日に一郎との間の子を出産し、一郎は同月八日にその子を認知した。

二  甲の配偶者乙と第三者丙が肉体関係を持った場合において、甲と乙との婚姻関係がその当時既に破綻していたときは、特段の事情のない限り、丙は、甲に対して不法行為責任を負わないものと解するのが相当である。けだし、丙が乙と肉体関係を持つことが甲に対する不法行為となる(後記判例参照)のは、それが甲の婚姻共同生活の平和の維持という権利又は法的保護に値する利益を侵害する行為ということができるからであって、甲と乙との婚姻関係が既に破綻していた場合には、原則として、甲にこのような権利又は法的保護に値する利益があるとはいえないからである。

三  そうすると、前記一の事実関係の下において、被上告人が一郎と肉体関係を持った当時、一郎と上告人との婚姻関係が既に破綻しており、被上告人が上告人の権利を違法に侵害したとはいえないとした原審の認定判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例(最高裁昭和五一年(オ)第三二八号同五四年三月三〇日第二小法廷判決・民集三三巻二号三〇三頁)は、婚姻関係破綻前のものであって事案を異にし、本件に適切でない。論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

上告代理人森健市の上告理由

一 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

1 原判決は、被上告人と訴外甲野一郎(以下、一郎という)が肉体関係をもった時期を同人が上告人と別居した後と認定し、当時既に上告人と一郎の夫婦関係は破綻していたものと認め、被上告人が一郎から妻とは離婚する旨を聞いて、同棲するに至ったことは、上告人と一郎の婚姻関係を破壊したものといえない旨を判示して、上告人からの慰謝料請求を退けている。

2 しかしながら、原判決の右判断は、最高裁昭和五四年三月三〇日判決(民集三三巻二号三〇三頁)の判例にも反しており、法令の解釈適用を誤っていることが明らかである。

すなわち、右判決の原審である東京高裁昭和五〇年一二月二二日判決(判例時報八一〇号三八頁)は、夫と妻との婚姻生活は、夫が別居した昭和三九年六月に破綻するに至ったのであり、同棲も女性が求めたものではなく、女性に直接の責任があるということはできない旨を判旨して妻からの請求を棄却していた。しかるに、最高裁は「夫婦の一方の配偶者と肉体関係をもった第三者は、故意または過失がある限り、右配偶者を誘惑するなどして肉体関係をもつに至らせたかどうか、両名の関係が自然の愛情によって生じたかどうかにかかわらず、他方の配偶者の夫または妻としての権利を侵害し、その行為は違法性を帯び、右他方の配偶者の被った精神上の苦痛を慰謝すべき義務がある」と判旨し、東京高裁判決を破棄差戻している。

右判例によれば、第三者の家庭破壊による慰謝料請求は、婚姻関係破綻の有無にかかわらず、また第三者の行為の態様にかかわりなく、故意または過失によって夫または妻の権利を侵害すれば不法行為が成立することになる。現に、右最高裁判例が出された後は、これに従う下級審判例がほとんどである(東京高裁昭和五六年一二月九日判決(判例時報一〇三一号一二八頁)、同高裁昭和六〇年一一月二〇日判例(判例時報一一七四号七三頁)等)。

3 右最高裁判決が出される以前には、夫の家出により夫婦同居の実が失われ、事実上の離婚状態にあった夫と肉体関係を結び、同棲生活を続けた女性につき、不法行為責任を否定した判例が存在し(東京高判昭五二・八・二五判例時報八七二号八八頁)、夫婦が離婚の合意をして別居している場合(狭義の事実上の離婚の場合)に限定して、当事者の一方と性的関係をもった者につき他方当事者に対する不法行為の成立を否定する学説もあった(我妻栄「親族法」一三四、一三五頁)。

原判決は、右東京高裁の判例に依拠したものと思われるが、本件は後述のとおり、被上告人が一郎と上告人の同居が解消されていない時点で、一郎と肉体関係を結ぶようになった事案であり、東京高裁判決とは事案を異にすることが明らかである。また、本件が右学説の指摘するような狭義の事実上の離婚の事案でないことも明白である。

一郎が家出をする以前の上告人との関係は必ずしも円満でなかったことは事実だが、一郎は上告人と肉体関係を結ぶまでに今回のような家出をしたことは一度もない。上告人が一郎と対立するようになったのは、一郎が行っていた事業に上告人が反対したためではなく、甲第四号証に記されているとおり、主として一郎の女性関係をめぐってトラブルが生じていたものである。なお、原判決は、一郎が自宅に抵当権を設定したことから、夫婦関係が悪化し、上告人が包丁をちらつかせたなどと認定しているが、包丁をちらつかせた事実は全く存在しない(甲野春子本人調書二項、甲第六号証一二項)。

右のとおり、被上告人と一郎が肉体関係を結んだ時点で、上告人と一郎の婚姻関係が破綻していたなどとは到底認められず、被上告人の不貞行為が上告人の守操請求権や家庭の生活の平穏を侵害しており、上告人がこれによる精神的苦痛を被っていることは明らかである。

4 なお、前記の最高裁判決の後も、婚姻関係が破綻していた場合に関する東京高判昭六〇・一〇・一七判例時報一一七二号六一頁と、夫が相手方の女性を強引に呼び出して暴行脅迫を加えて関係を強要した事案に関する横浜地判平元・八・三〇判例時報一三四七号七八頁のみが不法行為責任を否定している。

右横浜地裁の判決は本件と事案を全く異にするので、東京高裁の判例について言及する。この判決は、子供が全員結婚したら、離婚するとの話し合いが夫婦間にあって、妻と別居している夫がその旨を相手方の女性に告げて結婚を申し入れて同棲したというものであり、右の如き破綻状態を招来したことについて相手方の女性は無関係であったこと、関係者立ち会いのうえ、仮祝言を挙げて同棲生活に入ったこと等を考慮して、不法行為責任を否定したものである。

本件は、上告人と一郎が同居中に被上告人が肉体関係を結んだ事案であり、破綻状態を招来したことについて被上告人に責任があると認められること、被上告人は一郎と同棲するについて披露宴も挙げていないこと等の事実を考慮すれば、被上告人に不法行為責任が認められて当然である。

したがって、原判決が上告人と一郎との婚姻関係の破綻を理由に、被上告人の行為が法的に違法とは認められない旨を判旨しているのは、右最高裁判例に抵触し、法的判断を誤っていることが明らかである。

5 また、被上告人はスナックのホステスをしていた際に一郎と知り合い、妻とは離婚する旨の同人の話を鵜呑みにしていること、被上告人は結婚の経験がないにもかかわらず、一郎と同棲を開始した以後、結婚式や披露宴も挙げていないこと、子供が生まれた後になっても、「仕事の責任がかぶさるので、入籍を延ばしてほしい」などという一郎の説明を軽率にも信じていること等の事実から判断して、被上告人に少なくとも過失責任が認められることは明白である。

東京地判昭五五・三・四判例タイムズ四一五号一二四頁も、同棲する相手に配偶者のあることを知りながら、一方当事者である夫の言葉をのみ信用し、妻の意思や婚姻生活の実態を確認せずに情交関係を結んだことは、少なくとも妻としての地位を侵害したことにつき過失責任があるものといわざるを得ない旨を判示している。ちなみに、右判決は被告が夫と情交関係をもつ以前から妻と夫の婚姻生活が円満さを欠いていたことも否定できないと認めながらも、被告に対する慰謝料請求を認容していることが注目されるべきである。

二 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について理由に齟齬がある。

1 前述のとおり、原判決の法的判断が誤っていることはもとより、その前提となっている事実認定自体も全く誤っており、上告人としては到底承服できない。

2 すなわち、甲第一八、一九号証(東京電力株式会社及び東京瓦斯株式会社からの回答書)によれば、被上告人が一郎と同棲している○○区×××(ダイヤパレス△△前)の電気及びガスの使用名義人は昭和六二年四月一六日の時点から被上告人の父である乙川巌とされている。

右の事実によれば、少なくとも一郎が上告人方を出る一か月前の昭和六二年四月の時点で、既に被上告人が一郎と男女関係を開始していることが明らかである(この点については、一審判決も「マンションの電話や光熱費等の名義人を自己の父とするのは、単なる知人関係とは解せられない」と判示している)。

しかるところ、一郎が大腸癌の手術で昭和六二年二月一一日から同年三月二八日まで入院生活を送っていたという当事者間に争いのない事実を併せ考慮すれば、常識的にみて被上告人は遅くとも同年の年初に一郎と男女関係をもっていたものと認めるのが相当である。

3 右のとおり、被上告人は遅くとも昭和六二年の年初の段階で一郎と男女関係をもっていたと認められるが、一郎が上告人方を出て前記マンションに転居した時期は同年五月六日である。

被上告人が一郎と男女関係をもったことにより、一郎は被上告人と同棲するために家出をしたことが一見して明白である。夫婦関係を破綻させた原因は被上告人の不貞行為にあるというべきである。

そもそも、上告人の請求を棄却している一審判決自身も、一郎が被上告人と同棲しているマンションについて、昭和六二年五月から電話や光熱費の名義人が被上告人の父とされていることを理由に、一郎が被上告人と知り合い、性関係を結んだ時期に関する一郎と被上告人の供述(それぞれ昭和六二年八月と同年一〇月)を信用できない旨を明確に判示している。このような重要な点について虚偽の供述をしている被上告人らの主張には全く信用性がないというべきである。

三 以上、いずれの点からみても被上告人の不法行為責任を否定した原判決は違法であり、破棄されるべきである。

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